昭和と令和 子育て、ないものねだり 

子どもたちが家で一緒に遊べるようになってきてから、自分の時間が少しずつとれるようになってきた。
いまの状況は「子育てがようやく楽になってきた」と言えるのかもしれない。
それでもうまくいかないことは多いし、イライラもする。
子どもたちのことを見守り続けるという責任は私が死ぬまで一生続いていく。

出産前、「子育ては大変だよ~?」と言われていたが、こんなに大変だとは予想外だった。
子育ては体力勝負とよく言うが、私的には精神修行という側面が強いように思う。

「育児は育自」とはよく言ったものだ。
子どもを産んだのだから大人にならざるを得ない。
なのに大人になりきれない。

母親になり、わけもなく感じる孤独。
社会から必要とされなくなった自分。
家族を生かすためだけに生きているような自分。
時間ばかり過ぎていき、自分は一体「いつ」にいるんだろう?と、たまに振り返る。
子どもに対して大人げない態度をとり、情けなさ、罪悪感、後悔でいっぱいになる。
自分の嫌な面、残念な面を直視しなければならない。
毎日何かをやり残したような気がしながらも眠りにつく。
このままでいいんだろうかと、今もよく自問自答している。

一番身近にいる大先輩が母だ。
母は転勤族の父のもとで3人の子育てをやり遂げた。
父は典型的な昭和の仕事人間。
両親とも車の免許は持っていない。もちろん車もない。
近場の移動手段は電車か自転車。よく子ども3人を連れて外出できたものだ。

疑問に思ったので母に尋ねてみた。
「3人の子育て、つらくなかったの?」と。

すると母はこう言った。
「つらいとか思ったことはそんなになかったかな。転勤しても社宅があったから、同じ境遇の奥様方と一緒でね。社宅の敷地の中で子どもたちを遊ばせられたじゃない?ちょっとした公園、滑り台も砂場もあって。小学生のお兄ちゃんお姉ちゃんからまだ歩き始めたばかりの子までみんなで遊んでたから、まぁ楽だったわよ。」

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なるほど。
社宅では親も子もコミュニティがすでにあり、同じ境遇の人たちが出入りしながら循環していくわけだ。

そしてこうも言った。
「当時は子ども3人産むのなんて珍しくなかったからね。もうすぐ出産って頃には上の子たちをよその家で世話してくれたりして、そういうのが当たり前だったのよ。みーんなお互い様でね。」

なんともうらやましい話だ。
ご近所で気軽に子どもを預かりあう。
「同じ会社に夫を持つ転勤族の妻」という境遇が同じであれば、そういった互助システムは機能しやすいのだろう。
そして当時は働きに出る妻はあまりいなかったそうだ。


私が子ども時代の記憶。
社宅中の子どもが集まって敷地内でかくれんぼをしたり、泥団子を磨いたり、裏庭のびわの木に登ってびわを盗み食いしたり、ゴム飛びをしたり、落とし穴を作ったり、屋上に忍び込んでうっかり閉じ込められたり、親が管理していた空き家のカギをこっそり使って忍び込んだり(埃に足跡がついて発覚して怒られたり)、屋上の踊り場に宝物を集めて秘密基地を作ったり。

子どもは、学校とは違う子ども同士のコミュニティの中で、楽しみを見つけ出したり、けんかをしては仲直りをしたり、ちょっぴり(?)悪いこともしたり、秘密を共有したりしていた。

今思えば、社宅は親子ともに理想的な環境だったのかもしれない。
(令和の今は同じ環境とはいかないのかもしれないが。)



そのようなコミュニティが私の周りにもあればと思うが、私と同じような考え・境遇の家庭を探し出すのはまず難しい。

私は専業主婦だが、子どもを1人家で見ながら小遣い稼ぎ程度の在宅ワークをしている。
近所に同じ年齢層の子どもの世帯は数件あるが、大体共働き。
子どもが0歳児の頃は産休・育休・退職などで在宅のお母さんが多いが、早ければ1年経たないうちに保育園に預けて働き始める家庭も多い。
0歳台のころに仲良くなったお母さんとも、復職や通園などで子どもを通した関わりも薄くなってくる。
復職するお母さんを見送ってはまた孤独感にさいなまれる。(仲良くなればなるほど。)

専業主婦でいると、保育園に預けて働きに出るお母さんをうらやましく思うこともある。
それと同じように、働いているお母さんからすると専業主婦がいいと思う人も中にはいるのかもしれない。
子育てをしていると、必要以上に「ないものねだり」をしがちになる。

そして最近よく感じるのが、私の周りのお母さんたちはとても責任感が強い、ということ。
自分の子どもは自分で見なければという意識が強いのか、義理親や一時保育などに預けて一人の時間を持つことが悪いことだと感じているお母さんも多いよう。
気軽に子どもを預けあうなんて、夢のまた夢のような気がする。


自分が子どもだった頃と、子どもを育てている今。
今は自分で情報を得ることができるようにもなったが、それに振り回されることも結構ある。
昔はスマホもなく、家電なども今ほど発達していなかったから不便な面も多かっただろう。
でも、あの社宅で過ごしたアナログな日々はかけがえのないものだったように思う。

――やはり、ここでもまた私は、「ないものねだり」をしている。


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今回の教訓
・昭和は、子どもをたくさん産むのが当たり前という空気があったそう。ご近所さん同士のつながりも今より強かったそう。
・令和は、共働き世帯が増えて、お母さん同士の関係が昔より希薄になりがち。便利にはなったけど、孤独を抱えがち。
・今も昔も旦那さんは家を留守にしがち。
・社宅は、同じような境遇の人を見つけやすかった。
・他人と自分、過去と今を比較したところで得るものは何もない。